

「日本一になったらやめてやろうと思っていました。」2005年に開かれた全日本スリークッション選手権大会において優勝された小林英明プロ。笑顔で語られたその言葉には小林さんの人生に裏付けされたある種の凄みを感じた。そんな小林さんの人生のターニングポイントとなったお話からこだわりの考え方をお伺いする。
穴の空いていない台を用いるキャロム・ビリヤードのゲーム。玉は白(手球)、黄(的球)、赤(的球)の三つあり、手球をキューで撞き、二つの的球に当てる事で得点となる。特徴として、一つ目の的球に当ててから最低三回以上クッションに接触させてから二つ目の的球に当てるという所。故に綿密な計算を用いなければならない繊細なゲームである。

昔から運動は得意な方で、小学校から中学校まではずっと野球ばかりしていた野球少年でした。中学校を卒業するあたりに友人たちと遊びにいったのがきっかけでビリヤードが好きになり、高校に入ってからは学校へ通いながらビリヤード場で働く日々を過ごしました。ビリヤード場にはプロアマ問わず様々な人がやって来ました。そういった人々から毎日刺激を受け、上手な方のプレーに魅了されていき、次第にビリヤードの世界にのめり込んでいきました。はじめた頃はポケット・ビリヤードをやっていましたが、働いていたビリヤード場のオーナーから「下手なうちはスリークッションはやるな」と釘を刺されたことで、逆に興味が湧き、オーナーがいないスキを見計らってプレーしていました。思えばそれが私とスリークッションとの出会いでした。スリークッションの魅力は、“成功率が低い”、“到達点がまったく見えない”というゲームとしての魅力も然ることながら、そんなゲームに君臨するトッププレイヤーへの憬れも魅力としてありました。そしてスリークッションの道を進めば進むほど、父親(※日本人初のスリークッション世界チャンピオンの小林伸明氏)の存在を意識していきました。そんな一五歳の夏、父親を越えるには父親の元でプレーしていては駄目だと決心し、単身で大阪へスリークッションの修行に向かうことにしたのです。

大阪での修行生活は3年に及びました。独りになったことでの孤独感やビリヤードの世界について、そしてプロビリヤードプレイヤーの父親のことなど、様々な不安が頭をよぎりました。しかし、そんな不安を解消させてくれたのもスリークッションでした。不安に思う暇も無い程に無我夢中でプレーすることで克服していきました。その後ヨーロッパへ1年渡った後、東京へ戻ってからプロになりました。
修行時代には然程感じられなかった父親に対してのプレッシャーは、プロになってから“技術の差”が良く分かるようになった為か以前より感じるようになっていました。プロとして店や大会などでお互い選手として父親と同じステージに立つ機会が増え、自分と父親のプロ選手としての距離が一向に縮まらないことに更なるプレッシャーや焦りを感じるようになりました。そうなると神頼みになったり、ジンクスを築いたり色々なことをやって差を縮めようとしました。試合の前日は風呂に入らないとか、試合前は重い物を持たないとか、ルーティンを作ってみたりもしました。逆にそれらをやらなかったりもしてみました。結局やってもやらなくても結果には左右されないということに気付きました。思い返せばそういったジンクスというのは周りから「これをやったら駄目」とか「これをやったらうまくいった」などと植えつけられたものが多く、自分の経験や考えでやったものでは無かったのです。
そこで考えたのは、コンディションから来る変化への対応力を身につけることが大事だということでした。ジンクスやルーティンなどに固められるとコンディションが乱れた時に対応できなくなってしまいます。スリークッションは団体競技ではなく、個人競技ですので常に自分との対話が重要になりますが、その対話さえしなくてもいい程に自然とプレー出来るようになるのが一番必要なのだと心がけるようになりました。機械ではなく生身の人間ですので、メンタル面で弱気になったり体調が優れなかったりもします。それを回避することに捕らわれ過ぎたり、良くないと判断したりするだけではなく、弱気になってしまった理由を考え、それさえも取り入れて自然とする。その場その場で臨機応変に対応する。ジンクスは作らない、ルーティンも作らない。それが私のこだわりになりました。

プロとして父親との距離を縮めるにはビリヤードをやり続けるしか無いという結論に辿り着きました。しかし、世界一の男を父に持つという私の境遇ですと様々なシガラミがありました。周りからの風当たりが強かったり、変に媚びられたりと普通に接してくれる人があまりいませんでした。少なくとも当時はそう感じていました。そんなビリヤードの世界が凄く嫌いになり、やめたくなったりもしました。でもやめてしまったら負けだと、反骨精神に近い感情で自分を奮い立たせました。ビリヤードの世界や父親、周りの人々へ復讐心のような気持ちをハングリー精神に変え、その後もビリヤードを続けました。続けていればいつか勝って、見返せるという気持ちになっていました。そしていつか日本一になったらそこでやめてやろうと思っていました。そんな中、迎えた2005年の第62回全日本スリークッション選手権大会。接戦に次ぐ接戦で辛くも勝利を納めていき、決勝へと進出。対戦相手は第59回大会の覇者、島田暁夫プロでした。感情のすべてが入り混じったような独特の緊張感を感じながらも“自然”を心がけたプレーに徹し、私は島田プロに勝利、日本一となりました。
優勝した時に感じたのは、それまでずっと思ってきた“復讐”の終焉といったものではありませんでした。観客の方々やスリークッションのプレイヤー、そして父、それまでは存在自体も疎ましく、あまつさえ恨んでもいた周りの人々に抱いた感情は“感謝”の気持ちでした。以前と何も変わらず、心の底から応援してくれていたことにそこで初めて気付いたのです。おそらく自分自身にバリアを貼っていたのだと思います。今でも心のどこかでは「いつやめてもいい」という気持ちは変わらずに残っています。しかし今では周りの人たちの応援が私のスリークッションへの原動力となっています。
今後は、ビリヤードをプレーしてから変わらずに思っていることですが、世界戦への参戦と優勝を念頭に活動していきたいと思っています。厳しい世界なので明日のことさえ分かりませんが、この気持ちや体力が続くまでビリヤードを続けられればいいなと考えています。そして現状ではビリヤード人口が少なく茨の道ではありますが、後輩の育成にも力を注ぎたいと思っています。それが業界の発展にも繋がると信じています。
第62回全日本スリークッション選手権大会 優勝の瞬間

読む本は剣豪物や歴史物が多いという小林英明プロ。お話する中で「生活の基盤もビリヤードにあります。ビリヤードは撞けば必ず結果が出るものなので、常にその現実と向き合うだけです。」とおっしゃった小林さんからストイックな剣豪の精神を垣間見た気がした。そんな小林さんご自身がオーナーのビリヤード場は暖かで和みやすい雰囲気。「ビリヤードの上手い下手がまったく関係ない、初心者でも楽しめる理想の玉屋(ビリヤード場)を作りたい」と終始柔らかな笑顔で応対してくれた小林さんの理想を実現しているように思えた。

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日本プロビリヤード連盟所属プロビリヤードプレイヤー。東京都中野区野方にあるビリヤード場、コビービリヤードのオーナー。2005年に開催された第62回全日本スリークッション選手権大会にて優勝。スリークッションアカデミーにて講師を務める。父親は1974年に世界スリークッションチャンピオンとなった小林伸明プロ。
| 1995年 |
プロ登録(JPBF入会) |
| 2000年 |
全関東アーティスティック選手権 優勝 |
| 2004年 |
全関東アーティスティック選手権 優勝 |
| 2005年 |
全日本オープンバンド選手権
全日本オープンスリークッション選手権 優勝
スリークッション尾張オープン 優勝
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| 2006年 |
全関東オープンバンド選手権 優勝
東日本プロマスターズBAZ戦 優勝
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| 2011年 |
全関東オープンスリークッション選手権 優勝 |
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中野区野方にある小林英明プロがオーナーのコピービリヤード野方店。
穏やかでアットホームな雰囲気が漂っている。